悲壮感
「お前のブログには悲壮感が足りない」
以前投稿した「キモさ叩き売り」「末路」などの記事を書き終わった後、フォロワーさんの何人からこのような感想を頂いた。
まあ、ごもっともだと思う。
原因は自分でもわかっていて、明らかに「具体的なエピソード」がかけていると思うんですよね。
僕の記事には、自身で体験した「悲壮感」とか真に迫るものがない。
毎日不幸を共有しあっていいねを飛ばし合ってたり、鬱蒼としたAnonymousDiaryをサルベージしている人にはなおさら。
また、そんなつもりなんてなくても、様々な""限界""が意図せずともリツイートされて目に入ってくる。
そんな「不幸中毒」なみなさんからすれば、輪郭がボヤケた御託を並べている文章はハリボテのように感じるかもしれない。
まあそんな理由は簡単で自分が「""無""だから」に尽きるんですけど。
あるフォロワーさんのnoteを無断転載するので読んでほしい(無断転載をするな)
https://note.com/spriggan_wiser/n/n0b0509d0991a
要約すると
1)ネガティブな性格な筆者がその性格を理由に女性に交際を断られる
2)しかしその女性は更にネガティブ、だがイケメンに「性格は一緒に治していこう」と交際を申し出る
という内容だ。
正直、要約のために見返していて本当に本当に辛くなったし、無断転載することを後悔している。するんですけどね。
ご覧になった方はわかると思うのですが、かなりの高純度のエピソードを織り混ぜられていて、ハッブル宇宙望遠鏡で萌えアニメのブルーレイを観ているような解像度の悲壮感である。
本題に戻るのですが、僕にはこんな記事かけません。
なぜなら虚無だがら。
この筆者さんが辛い目にあわれたのは、チャレンジした結果なんですよね。
勇気を持って交際を申し出た。
自分の人生を彩ろうとした。
相手を幸せにしたかった。
残念な結果に終わってはいますが、努力した結果のエピソードが読み手の心をえぐってきます。
サイコロを振ることをせず、インターネットの牢獄に囚われたままの稚拙な人間には、こんな記事は書けません。
""無""そのものが悲壮感の僕には、書けません。