ひきこもり

先週朝のラジオを聞いていたら、ひきこもりに関しての特集が組まれていた。


さらっと聞き流していただけなので、出典や細かい数字などは忘れてしまったが、
いわゆるひきこもりと呼ばれる人々の中で、ゲームやSNSなどにのめり込んでいるひきこもりというのは実は少ないとのこと。


ひきこもりの人とそうでない人の、ゲーム人口やSNS利用者のパーセンテージをそれぞれ比べても、差は無く、むしろひきこもりのほうがゲームやSNSにのめり込んでいない率が高いらしい。

自分もひきこもりと言えば暗い部屋でオンラインゲームに興じているステレオタイプをイメージしていたので、少し意外に感じた。

まあそもそも統計的に優位な調査なのか、ゲームってどんな種類だよ!と気になる面もあるのだが、

ソシャゲのランキングや、オンラインゲームの対戦など、最近のゲームはやたらと他人と比べてしまう要素がかなり多く、劣等感を抱きやすい時代になったなあとは思う。
Twitterをやっていても、彼女とデート!家賃補助〇〇円で〇〇区在住!などといった投稿を見るたびに、「俺の人生は間違いだったのか?」と思ってしまう。人生に正解も不正解もないのにね。

ネット以外にも、わたしは同期にボウリングやカラオケに連れていってもらうことが多くて、誘ってくれるのはかなりありがたかったが、自分だけ歌がへたくそ(高音が全然でない)、ボウリングもうまくいった投げ方が繰り返しできない(身体がなかなか覚えてくれない)ので、周りの人間と比べてしまい、娯楽が娯楽に感じられないときが多い。

一応働いていて運良くひきこもりではない人生を歩んでいる自分ですら、人とのつながりを絶ちたいときが周期的にやってくるのに、そういった人々からすれば、他人の成功を見ているのが辛くなってしまうのではないか?(上から目線の断定に聞こえておこがましいと思われるかもしれないけど)

好きなものがあってひきこもっているのはまだまだ希望があるんだなあと考えてしまった。


僕がTwitterから消えてしまったら「そういうこと」になったんだなと悟っていただけたら幸いです。